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ポックリボーイ  1975年3月20日北海道深川市生まれ。2003年5月24日から2016年5月23日までwebサイト「ポクポクライフ」運営。日本中を回っています。2017年5月13日にラーメンを食べていない都道府県を殲滅させました。 #ポックリボーイ動画 #ポックリボーイ音楽

まさかの「鴨鍋」到達だよ。

念願すぎにも程がある「豊田屋」の「ねぎま鍋」です。

東京都内で最もダークサイドに堕ちた鍋です。

あんこう、あん肝、牡蠣、白子

マスターから、主力商品たるあんこうについてたくさん話を聞かせてもらいました。

マスターいわく「豊田屋」のあんこうは圧倒的に旨い北海道日本海側のものしか使わないということです。

仮にそれが事実ではないとしても、道産子である僕は調子に乗るぞ。

古事記を読む人が少ないようです。

内容は至って簡単なのにも関わらず、です。「文学」という概念すら存在しなかったほどむかしの話なんだから、内容が簡単にならない方がおかしいですね。「スターウォーズ」の方が遥かに複雑です。

誰もがその存在を知っていながらにして、古事記を読む人が少ない原因として、多くの人が挙げるのが「登場する神の名前が長くややこしいから」です。

では、僕自身が思う「古事記を読む人が少ないことの原因」は何かというと、「登場する神の名前が長くややこしいから」です。

あまりにもキャラ像が見えにくいんですね。

序文のしょっぱなに出てくるのが、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)です。最初から読む気がなくなります。

これは、教科書のわりと最初の方に第16代ローマ皇帝の「マルクス・アウレリウス・アントニヌス」が出てきて、世界史に対するやる気がなくなる高校生の心理と完全に一致します。

これを俗に「出鼻をくじかれる」という。

ただ、僕の場合は「これは、ふざけている名前ではなく本気の名前である」という点に爆笑して世界史にハマっていきました。

そのような古事記に取っ掛かりを得る超簡単な方法があります。

単に「漫画で読めば良いだけ」です。

漫画だとキャラを映像でつかめるので、極論をいえば名前の文字情報なんて不要です。

年配の人がいう「顔は覚えているけど名前が出てこない現象」が上等の世界ですね。

むしろ、いまだと漫画どころか「YouTubeで見る」とかで済むかもしれませんね。

古事記が普通の物語と違って有意義だと思うのは「神社の説明書」である点に尽きます。

たとえば「あの神社に祀られている神様は誰?」とか全然気にしないのが普通だと思います。仮に、いま自分の家に一番近い神社の祭神がいえるなら、その時点でけっこうな神道通でしょうね。そもそも「祭神」という概念すら意識せずに生きているのが普通だからです。

ただ、いくら何でも稲荷神社の祭神が「お稲荷様」であることを知らない人はいないでしょう。当然にそのお稲荷様も古事記に出てきます。ただ「お稲荷様」という名前ではなく「宇迦之御魂神」という本名で出てきます。

見方を変えれば「古事記は近所の神社に祀られている神様が載っている物語」だと思います。

したがって、古事記を読むと、そこら中にある神社の輪郭がより一層ハッキリと見えるハメになるという事態は避けられません。

古事記の知識を得てから京都の各種神社を巡った日には、点と点が繋がりすぎて大変なことになりますよね。

僕が思うに、古事記というのは「小難しい古代の物語」と見た時点で疎遠なものになりますが、単なる「そこら中にある神社の説明書」と見た時点で身近になるはずです。

#うるきわ #麗しさを極めている

巳年に生まれた人間、全員、スリザリン行き決定

でおなじみポックリボーイです!

あんこう&セリ鍋に入れた、豚肉やら牛肉やら様々な野菜やらから出た旨みをふんだんに含むスープの行く末は、札幌の「西山ラーメン」による〆でした。

幸せの極地です。

僕にとって「そそられる冬の鍋」といえば「あんこう鍋」と「セリ鍋」なんですよね。

実際に何度か行っていますが、僕は「あんこう鍋」の聖地である茨城県大洗町のファンです。

そのせいで、僕は大洗町が舞台であんこう要素もふんだんに取り入れられている「ガールズ&パンツァー」の本編全話を見るハメになりました。

これは、女子高生の戦車チームが実戦で大会にのぞみ、優勝を目指すという筋書きのアニメです。

僕のような、戦車どころか車にも死ぬほど興味がない人間も確実に引きこまれる内容なんですよね。誰が見てもおもしろいので「戦車が無関心すぎて見ない」という壁は捨てて良いと思います。

ただまあ、「ガールズ&パンツァー」は、あんこうと大洗町が題材だからこそ見たようなものなので、そこはまんまと引っかかったわけです。

作品内での「あんこう鍋はキモから炒めるのがコツ」というセリフに大洗の魂「どぶ汁」の真髄を垣間見ました。

一方で、ほぼ仙台ですが、宮城県名取市の「セリ鍋」も最近めちゃくちゃ上手いことやっていますね。

セリの根におけるインパクト充分のヴィジュアルを利用してその魅力を存分に生かし切っています。

秋田のきりたんぽに入る助演のセリと違い、名取のセリ鍋のセリは完全主演です。

これによって、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)以外は鬼のようにマイナーな「春の七草」の中で、セリは一気に抜けてきたわけです。

で、いっそ「あんこう鍋」と「セリ鍋」を一緒にしちゃえって話なので、こうなりました。

海の冬「あんこう」と大地の冬「セリ」による土鍋での邂逅。

それでは、パンツァー・フォー。

現代は近世ヨーロッパ以上に「魔女狩り大好きっ子集まれ社会」なのかもしれない。

刑法の勉強をすると、犯罪成立について「相当因果関係説」の主観説、客観説、折衷説を学びますが、どれも原因と結果のつながりがガチガチに厳しい。

ところが、魔女狩りに関しては因果関係なんてガン無視ですからね。ソース(原因)が嘘なのに魔女に仕立て上げられて叩かれることなんてザラです。

アルベール・カミュの小説「異邦人」では、主人公のムルソーが裁判官に殺人の理由を問われた際に「太陽が眩しかったから」と答えました。

これは完全に相当因果関係が認められますよね。

一般的に、太陽が眩しくて人を殺すのは常識的な行動です。むしろ、太陽が眩しいのに人を殺さない変わり者など存在するのか、という話です。

いま、魔女狩りに対して最も戦々恐々としているのは、ガス爆発の原因となった消臭スプレー缶の商品名が特定されて晒されることを危惧しているメーカーじゃないですか。

そもそも消臭スプレーそのものの購買意欲が削がれうる上に、「どこどこのメーカーの消臭スプレーは爆発するから危険」みたいなノリになるじゃないですか。

ただまあ、究極的に危険なのは生命ですね。

人間というのは生命を持たない限りは絶対に安全なのですが、生命を持った時点で死ぬまで危険です。

少なくとも、僕は死より安全なものなんてひとつも思いつかないですね。

僕の潜在意識の中には「『忘れものがないようにお気をつけ下さい』と告げられたにも関わらず、その直後に忘れものをしたい願望」があります。

こんにちは、桑名ポックリボーイです。

非常に遺憾ながら、僕の父である‪桑名正博‬の息子の名を騙る不逞の輩が、「日本一周」を掲げて全国に出没していると聞きました。

僕としても実弟の美勇士とともに抗議したいと考えています。

僕の父である‪桑名正博‬の息子を騙っている方へ告ぎます。

いますぐ素性を偽るのを止めてください。

そして、正々堂々と本当の自分自身で勝負して下さい。

ちなみに僕の父である桑名正博の代表作は「ダンシング・オールナイト」です。

あ、それは、みのもんただっけ?

それは冗談として、僕の父である桑名正博は、鈴木雅之がボーカルを務める「‪ラッツ&スター‬」のトランペットで、後に田代まさしと一緒に『志村けんのだいじょうぶだぁ』で活躍した人物です。

なんで「スカスカおせち」は定着しなかったんですかね。

あんなにおもしろいものは滅多にないのに、もうどこにも売ってないじゃないですか。

ただまあ、逆転の発想で、普通のおせちを買って、でかい箱に盛りつけ直せば「スカスカおせち」になりますね。

手間はかかるわ、見た目は悪くなるわ、ということで「あえて無駄を楽しむ」には良いんじゃないですか。良いわけないだろボケ。

どうしてこんなハイクオリティなの?

いまさらながらボケとツッコミは奥深いです。

永遠に解明できないレベルで奥深い。では、ボケとツッコミの多様性や厚みを再確認するために別の表現にいい換えましょう。

ボケとツッコミの関係は、フリとオチの関係、非常識と常識の関係、問題と解説の関係、緊張と緩和の関係です。

そういったことを踏まえつつも、ことさら正統派の漫才というのは「詐欺」の形式に通じている。

つまり漫才というのは「見ている人を小気味よくミスリードして騙す作業」の連続だと思うのです。

逆さまにいえば「何でやねん!」「そうじゃねえだろ!」「お前はバカか!」という絶品料理を完成させるために至高のレシピを追求する行為。

フリ:「あい」は地球を救います。
ボケ:そうですね。色んな「あい」があります。殴りあい、奪いあい、殺しあい、壊しあい

という展開は「愛」を想起させておいて真逆な方向に裏切るというとてもシンプルな「思考コントロール」です。とにかく「フリ」になる「ミスリード」がキモだと思いますので、一般的な「偏見」を利用しない手はない。

僕の文章はだいたいここで止めます。読み手が勝手に脳内でツッコんでくれると思っているからです。

でも、より広く門戸を開放した正統派の漫才ならこうなるかもしれません。

フリ:「あい」は地球を救います。
ボケ:そうですね。色んな「あい」があります。殴りあい、奪いあい、殺しあい、壊しあい
ツッコミ:そっちの「あい」かよ! むしろ地球が救われないわ!

ですね。

僕がツッコミやオチを意図的に省いた文章を好んで書く嗜好性はもうずっと変わっていません。

逆にいうと、僕はツッコミやオチを省くレベルで読み手のことを信用しているので、シンプルにボケるだけで充分だと思っているわけです。

まれに、僕がわざと省いたツッコミやオチをコメント欄に書かれることがありますが、それは「省略の美学」を蹂躙した、いわゆる「マジレス」の類になるかもしれません。

ただ、一般論でいえばツッコミがないと「読みが浅い人」の理解は不足するでしょう。

とはいえ、ツッコミが多すぎると冗漫になります。とはいえ、ツッコミが少なすぎると説明不足になります。とはいえ、「どこがちょうど良いのか」というのは答えがない。センスだけが頼りになるでしょう。

これこそが「奥の深さのすべて」だと思います。

ツッコミがない漫才はほぼほぼシュールになる。

これは万人受けはしませんが、好きな人にはこれ以上なく究極的におもしろいものになりがちだったりもします。

僕が好むネタというか、僕が自作するネタ動画は、ボケとツッコミではなく、バカとバカという形式が多いと思います。

なぜなら僕は無類のバカ好きだからです。

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