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wgkk  パラレルワールドの賢志郎物語。 書き終わったらタグつけます。

*49*

「木崎さん、スマホ光ってるよ」
「うん…」
夜9時の古代文学研究室。緑のライトは着信だっけメッセージだっけ、たぶんとにかく賢志郎からに違いない。
昨日の夜、賢志郎ファンが現れた。エレベーターの狭い空間に、賢志郎命の女の子と二人きり。そしてマンションの周りには、常に4~5人のファンの張り込み。来る日も来る日もアホじゃないかと、私も日に日に荒んでくる。何だって私が賢志郎のファンのことで頭いっぱいにならなきゃいけないのか。おかしいでしょ。これ以上腹を立てない為に、今日は家に帰らないことにした。朝からまるで炊き出しみたいに、豚汁と、おにぎりと、さつまいもの天ぷらを作った。
<今日は学校に泊まります。まりこ>
可愛い顔でスヤスヤ寝ている賢志郎を見てたら蹴りを入れたくなった。食料まで作ってやって、甘やかしてるわ。自立させないと。でも豚汁のどんぶり分かるかな。色んな考えで回線が混み合って絡まりあっている。とにかくこの、張り込みされている家に今日は帰らない。

学会原稿の修正のため、院生10人が全員残業している。玉塚先生を罵りながら。原稿は玉塚先生にクソミソに言われ、殆ど灰塵に帰した。お前らここでクソミソに言われなきゃ学会でクソミソに言われるんだぜーという先生の言葉はごもっともだ。殺したい程憎たらしいが、結局はいつも先生が正しい。ボス自身に追い詰められた研究室には崇高さの欠片もなく、ただただクソミソな言われように満たされているのである。
机の上には、配給物のコアラのマーチが3~4匹。お菓子係の早苗ちゃんが買い出してくれる。早苗ちゃんが買いに行こうとすると、彼氏の長谷川が必ず「荷物持ってやるよ」とくっついて行くのが堪らなく鬱陶しい。きょうび、男の方がデレるのは珍しくもないが、つい最近まで私を追い回していた長谷川が、鮮やかな変わり身で早苗ちゃんに鞍替えしたのが、まあ面白くないと言えば面白くない。頭を切り替えてコアラ1匹につきコーヒー1杯。このペースで今日は午前2時まで頑張ろう。
「遅くまでいるの珍しいね木崎さん、夏頃からずっと5時まで女だったのに」
「そうだったよねえ…」
結婚して以来、いくら切羽詰まっても学校に泊まるのはやめていた。何があっても必ず賢志郎と暮らす部屋に帰る。そんなルールを自分に課していた。でも、今日は泊まる。ファンという人達の暴走が怖い。あと昨日怒りすぎて、賢志郎と顔を合わすのが気まずいし。普段なら絶対に抑えられる言葉が、思わぬ勢いで口から出ていた。
「賢志郎のファンでしょ。何とかならないの?」
こんな感じで私と賢志郎の間の全てが不調。本当は賢志郎の腕の中で眠りたい。賢志郎のわりかし逞しい脚に、私の脚を絡ませて眠りたい。親猫が子猫の毛繕いをするみたいに愛されたい。玄関でのハグ、お風呂で洗ってくれる時、ベッドでの愛撫…賢志郎に甘やかされるひととき、一日に溜め込んだ不純物が消えてなくなるのを感じる。でもそういう流れとはしばらく無縁だ。不毛な考えはやめよう。賢志郎を頭から追い出す為、スマホは手に取らず、文献に目を戻した。
コンコン、と音がした。全員が入り口を向く。ドアの向こうで、手をヒラヒラして微笑むマスク姿の賢志郎。
「ちょっ…」
傾けていた椅子がバランスを崩した。思いっきり床に倒れて後頭部をしたたか打った。
「うわあ大丈夫?!」
「何やってんのもー、打ち所悪かったら死ぬやつだよ!」
笑いながら助手の押部君が、私ではなく椅子の方だけサッと起こした。賢志郎は向こうを向いて、肩を震わせている。
「あれぇ?木崎さんの旦那さん?」
押部君が、どこから聞いたのかそんな情報を提供した。ゼミ室がどよめいた。
「ええっ、木崎さん結婚してたの?」
「ええっ、やっぱりあの、あの人と?」
「え、噂の?」
俄にゼミ室が色めき立つ。ちょっと待って。賢志郎が現れたり、結婚がバレたり、何から手を着けたらいいのか分からなくなってきた。とりあえず帰ろう。
「あの、ごめん、お先…」
そそくさと荷物をまとめて廊下に出ると、早苗ちゃんが私の腕に手をかけた。
「木崎さん、これ、ご主人と一緒に食べてください」
「え、ありがとう早苗ちゃん。何これ」
「コアラのマーチ秋の限定スイートポテト味です」
「ありがとう、こんな大事なものを」
「気にしないでください。私にはハロウィン限定のがありますから」
私と早苗ちゃんは両手を握りあった。
賢志郎は物陰に隠れて私を待っていた。マスクを顎までずらして笑顔を見せる。
「ごめんな、来ちゃって…まりちゃん電話にも出えへんからさ」
「あ…ごめん…」
「今日は帰りませんなんて、びっくりさせんでよ。書き置きなんて、普通に家出やん」
賢志郎が階段の暗がりで、私の手を握った。お茶の水駅から歩いてきたにしては、手が冷た過ぎる。
「なあ、怒ってんの?まりちゃん…」
捨て犬みたいな、抱き締めたくなるような目をして私を見る。その目は狡い。
「怒ってない…」
「ほんまに?」
「…」
賢志郎の顔が近づき、優しく口づけてきた。
「もう、まりちゃんがまたいなくなったらどうしようって…」
私の背中を、大事に抱き締める。不純物が、夜の闇に溶けていく。

#川西賢志郎
#和牛川西
#和牛川西賢志郎
#来ちゃった

*48*
「畑田さん、すんませんけど、出待ちにおるオレンジ色のでっかいバッグのほなみって子連れてきて貰えません?」
「え?それはあかんて、話なら俺がつけといたるから」
「いや、これは俺が言うたった方が決着つくと思うんです」
「川西の家突き止めた奴やろ?話して通じる相手か?」
「分かりませんけども、もう放っとかれませんから」
畑田さんは数秒、シミュレーションした。顔を上げて、
「分かった。連れてくるからお前は小会議室に入っとれ」
「はい、ほんますんません」
「いやほんま、めんどくさいやっちゃな。俺に任しときゃええものを…」

昨日の夜、ドアの締まる大きな音がした。迎えに出ると、ドアを背にしてまりちゃんの顔が蒼白になっていた。
「何があったん」
肩を掴もうとする俺の手をすり抜けて、まりちゃんは部屋に上がった。ソファーにバッグを投げ捨て、口もきかずに寝室に消えていった。それを追うと、まりちゃんは着替えもせずにベッドの中に潜り込んでいた。
「まりちゃん、大丈夫?話してくれへん?」
俺はベッドの横に座った。まりちゃんは明らかにここ最近、俺との生活に疲れを感じていた。生活空間を日々侵食し続けるプレゼントの山、軒先にまでやってくるほぼストーカーと化したファン。俺自身が疲れているのだから、まりちゃんならなおのことだ。
「エレベーターに入ってきたの」
そうだと思った。いくらセキュリティは万全でも、住人と一緒に滑り込んできたら入れてしまう。
「仲良くなれるから、部屋に入れてって、手を握られたのよ」
「…」
「ほなみって言ってた」
「知っとる…古いファンや」
「大学の教室にまで来たのよ」
「…」
「賢志郎のファンでしょ…何とかならないの?」
まりちゃんは抑揚を失った声で言った。俺が悪い。まりちゃんは悪くないから多分俺が悪い。でもその言い方は無いんじゃないの。確かにほなみはひどい。好意でもって好きな芸人を苦しめる矛盾したファンだ。実際そんなファンは山ほどいる。でもどんなファンでも、ファンはファンなのだ。そしてファンなくして俺の今は無いのだ。しかしそんなことを今のまりちゃんに言える筈もない。このまま行けば、まりちゃんをまた失うことにもなりかねない。寝たのか、起きているのか分からないが、まりちゃんは微動だにしないでそのままずっと横たわっていた。俺は全く反応のないまりちゃんの傍らで、ただ黙って座り込んでいた。

「そこ座り」
怯えた顔で小会議室に入ってきたほなみは、俺を見て一瞬瞳孔が開いたが、すぐまた硬い表情に戻った。よく知った顔だ。何度も一緒に写真を撮ったし、手紙もプレゼントも貰った。食えなかった時にはよく「食糧です」という添え書き付きのレトルトを差し入れてくれた。当時はあどけなかったが、もうすっかり大人びている。今風のベージュのコートを着て、ニット帽も似合っている。お洒落なんだな。
「ほなみちゃんな、ずっと昔っからのファンよな。ずっと応援してくれてありがとうな」
「…」
「俺らが売れない頃からやもんな。俺らめっちゃ人気なかったからな、ほなみちゃんが出待ちしてくれたんはほんま心の支えやったで」
「う…うう…」
ほなみはボロボロと涙を流した。止めどなく流れて、嗚咽した。俺はポケットからハンカチを出して渡した。
「これで拭き。鼻もかんでええから」
「う…うええ…はいっ…」
ほなみちゃんは驚くほど迷いなく、俺のハンカチで鼻をかんだ。
「ええかみっぷりやん」
「あ…あは…」
「思い詰めてしまったんやろ?でもな、無茶せんで欲しいねん。分かってもらえる?」
「はい川西さん…川西さん、ごめんなさぁい…うう…」
箱ティッシュも渡して、泣き止むのをゆっくり待った。拙速にならないように、ここは絶対、誠意で。やがて、しゃくりあげていたほなみの息が整ってきた。
「差し入れのカレーはめっちゃありがたかったで」
「あ、あれですか…あは、あれ、うちから持ってったヤツ…」
「マジなん?家のやつ持ち出して俺らに横流ししとったんかい。あはは、あかんやろ…」
泣きが収まったほなみを外に送り出すと、ドアの外で畑田さんがよろめいた。どう見ても、ドアにへばりついて聞き耳立てていた人だ。状態を立て直して真顔を作る畑田さん。
「おう、そろそろかと思うてな」
「はい、色々とすんませんでした」
「姉さん、もう無茶したらあかんで。川西に嫌われたないやろ?芸人道もあるけどな、ファン道もあると思うで。どうせならええファンになったらなあかんで…」
「人気ない、おもんない、影薄い」の三重苦時代にも、少ないながら出待ちはいた。その時は、本当に出待ちファンを神みたいに思って大事にしていた。金が無かったから、今の何十倍も差し入れが嬉しかった。劇場の外で、仲間のようにたくさんの話をした。その当時から、俺の対応は変わっていない。周りからは、大勢の出待ちに何故あんな丁寧に対応するんやとよく聞かれるが、やり方を変えていないというただそれだけのことだ。

#川西賢志郎
#和牛川西
#和牛川西賢志郎
#なんでこうなった
#この展開
#そんで何この写真
#人気ない
#おもんない
#影薄い
#よくぞここまで売れた
#和牛

*47*
昨日の夜、賢志郎は憮然として帰って来た。両手にたくさんの紙袋をぶら下げて、雨に降られてずぶ濡れで。私はお風呂に入っていて、迎えに出なかった。それが昨夜の賢志郎最大の怒りポイントだった。
「賢志郎おかえりい」
私が呑気に風呂から出てきたら、洋服を脱ぎ散らかした賢志郎が、私の顔も見ないで言った。
「チャイム聞こえなかったん?」
硬い声。クローゼットからスウェットを出して、荒っぽく着ている。ずぶ濡れになり、重い荷物を下げているのに、私が玄関に出てこなかったのでご立腹なのだ。チャイムは聞こえた。でも、体も髪も洗ってないのにわざわざ風呂から飛び出して出迎えなきゃいけないんだろうか。そこは上がってから「おかえり」でいいんじゃないだろうか。古い男なのか何なのか、このお迎えに出ないというのが、意外に賢志郎の逆鱗なのだ。
「あ、ごめんね。髪洗ってて聞こえなかった」
嘘です。でも理詰めで抵抗するよりいい。今日の諍いは、早めに終わらせたい。今夜は論文の下読みの準備をしなければならないから、賢志郎とこじれている場合じゃない。こうやって、適当に取り繕ってやり過ごす時だってある。バスタオルを持ってきて、髪を拭いてあげると、賢志郎の表情が少し柔らかくなった。
「濡れちゃって…ごめんね気づかなくて」
賢志郎が私の胸元に顔を埋める。私も賢志郎を抱き締める。ようやく私たちの間に暖かいものが流れ始めた。
「今日は出待ちのプレゼントが凄くて、傘が持てなかったんや」
「タクシーは?」
「雨やもん、空車は一台も通らんかって」
居間の一角には、濡れてクタクタになったアパレルの紙袋が大量に、酒の紙袋も5、6。よくこれを持って帰って来れたなという量だ。
「お酒…」
「重いねんこれが…」
私たちは、紙袋の山の傍らに座り込んだ。シャツ。セーター。時にはコートが入っていてびっくりする。でもこれは賢志郎の仕事の範疇。何しろ必ず熱烈な手紙が入っている。連絡先も、可愛く盛った写真も入っているだろう。そんなもの見たくないので、私は手出しはしない。時々賢志郎は、もくもくと紙袋を開け、プレゼントの仕分けをしている。しかしそんなペースで追い付くわけがない。何しろステージに上がる度に出待ちがいる。全部断って帰ることもあるようだが、賢志郎なりに誠意のラインがあって、やっぱり受け取らざるを得ない時もあるわけだ。今日の不機嫌の原因はもう一つあった。賢志郎がカーテンを細く開けて階下を見た。
「何日か前から外にファンがおんねん。まりちゃん、気を付けてな」
「気を付けてって…私、何かされる?」
「危ないことはされんと思うけど…ちょっと待って」
賢志郎はマネージャーに電話をかけた。電話の向こうは動揺ひとつない様子だ。賢志郎は「ハイ、ハイ」とだけ繰り返し、ものの1分で電話は切れた。
「畑田さんから警察に連絡してくれるって。ただのファンやったら、警察に注意されたらやめるからな」
これが、賢志郎と結婚したという紛れもない事実なのだ。人気があればあるほど、その人気が作り出す闇まで大きくなってくる。節度と良識のある人だけがファンであればいいけれど、裾野が広がるほど、流れも濁ってくる。それは賢志郎だけの問題だと考えていた。結婚して、まさか私の生活さえ脅かされるとは考えていなかった。
「まりちゃん、こっち来て」
「うん…」
ソファーに引き寄せられ、賢志郎の腕の中に収まった。なんかもう、やるせない。気分が浮上しない。
「俺と結婚したばっかりにごめんな」
「大丈夫、全部覚悟の上だったから」
賢志郎のキスに味がしない。幸せな味も、エッチな味も何もしない。色も何もない白黒のキス。覚悟の上で結婚したなんて頼もしいことを言ってしまうが、そんなこと思って賢志郎の嫁さんになったわけじゃない。今日は何もかもがちぐはぐだ。「チャイム聞こえなかったん?」なんて言う賢志郎は嫌い。早くこの乾いた空間から抜け出て、論文の世界に没頭したい。好きや嫌いの情緒は抜きにして、文字のあわいに沈みたい。今はそっちの方が楽しめる。癒される。キスの切れ目に、賢志郎の腕を逃れて机に向かった。

「川西真理子さんですか?」
人気の講義「サブカル論」の教室で、隣に座った真面目そうな女の子に声をかけられた。おかしいな。名字の変更は学生課に届け出たばかりで、ゼミ教官の玉塚先生だってまだ旧姓の木崎で呼んでいる。ゼミ生には結婚したことすら伝えていない。それが見も知らないこんな人に川西と呼ばれるなんて怪しい。
「いえ、違います」
「え?あ…すみません、え?…」
「潜入の者は後ろへ行って下さーい。履修してる奴が立って聞くってあり得ねえだろー」
先生が入ってくるなり教室を沸かせた。潜りの学生は苦笑しながら席を立って、履修生と入れ替わった。ざわめきが大学らしい。
「おい、君はどこの学生?」
先生が席を立つ男子に聞くと、
「早稲田です」
と返事があり、これにはまた教室が沸いた。
「遠征かよ。ご苦労様。俺の授業にも他大学から出張が来るようになったか」
スター教授がニヤニヤ笑う。ふと隣を見ると、さっきの女子学生はもういなくなっていた。

#川西賢志郎
#和牛川西
#和牛川西賢志郎
#スター教授
#モデル
#宮沢章夫
#頻出
#すっぴん聞いてるから

*46*
たまには外へ飲みに行きたいと言う賢志郎に従って、近くの居酒屋へ行った。賢志郎は黒ぶち眼鏡にパサパサの髪、伸びきったパーカーに鼠色のスウェット。芸能人オーラ消灯。3浪くらいしてそうな浪人生に見える。このパーカーはダサいから今に捨ててやろうかしらと思ってるけど、こういう街歩きの時に面が割れなくて便利なのかもしれない。賢志郎がここ数年行きつけているという江古田の居酒屋へ入ると、50代くらいの綺麗な女将さんが私と賢志郎を代わる代わる見た。
「まりちゃん、カウンターでええ?」
「うん、いいよ」
席に着くと、清潔感の塊みたいなおしぼりが出てきた。間髪入れずに賢志郎がそれで顔を拭く。
「ここのおしぼりは信用してんねん。清潔や」
「おしぼり誉めて頂いてありがと。いらっしゃい川西さん、ご無沙汰でしたね」
「お陰様で忙しくて」
「ほんと、ご活躍ですよね。うちの娘もね、ルミネとか行ってるみたいですよ。店に来たら教えてくれって言われてるんだけど、今日は塾でね…川西さんビールよね。彼女さん何飲みます?」
「女将さん、彼女ちゃいます。奥さんなんです」
「えー!結婚出来たの?いやごめんなさい、出来たのってことないわよねえ。あはは、やあねえ…」
「出来ない思うてたんですね女将さん…」
女将さんは私の肩に手を置いて笑い転げた。お母さんみたいでいい感じ。甘えたくなる。店主が刺身を盛り付けながらボソッと言った。
「早くビール」
「あ、はい、奥さん飲めるクチ?」
「あ、飲めまーす」
「そうよねそうよね。でないと川西さんと付き合えないわよねえ。いやあ結婚かあ…」
べっぴんの女将さんが好意を湛えた瞳で私を見た。賢志郎は黙ってニコニコ飲んでいる。この人はこうやって、どこへ行っても愛される。人の話をよく聞くし、柴犬みたいにニコニコ笑って、基本無口。でも自分のターンが来たら、何か喋ってそこそこ笑いを取る。劇場の何百人、テレビの前の無数の人間を魅了している現状を考えれば、自分の周囲数メートルを魅了するのは賢志郎にとって容易いことなのかもしれない。見るともなくテレビに目をやっていた賢志郎が、急に顔を覗き込んできた。3杯目のジョッキがもう空いている。
「ええ匂いする…」
肩をくっ付けてきて、一瞬、髪の毛の匂いをかぐ。
「可愛い服着ちゃって」
「何々、誉め殺し?」
「でも胸あきすぎやで」
「やらしい心があるからそう見えるのよ」
「ん、そうか…」
いくら新婚でも、夫婦にしては距離が近い。酔った賢志郎がイチャイチャモードに入った。この後は、カウンターの下で手を握ってきたり、ピアスを見たりするはず。
「今日は俺のピアスやん…」
ほら。耳たぶを触ってくる。駄目気持ちいい。外出中に賢志郎はこうやって、私に軽い辱しめを受けさせるのを好む。
「なあ、まりちゃん、帰ったら…」
「キャーーー!!川西さん!?うそうそうそヤバいってヤバいってヤバいって!」
突然、制服姿のJKが、入り口を開け放って絶叫していた。
「こら美智華!店で騒ぐな馬鹿!」
店主に怒られた美智華ちゃんは、両手で口を押さえて、高速の地団駄をふんでいる。
「元気やなあ」
賢志郎はその間もジョッキを傾けて、ニコニコ見ている。どっちかって言うと賢志郎のその様子に驚いた。人気に慣れすぎ。
「ほら、握手でもしてもらって帰んなさい」
「お母さーん、ラインありがとう!マジ感謝!」
「もーうるさい!早く握手してもらって帰んなさい!」
女将さんから引き剥がされた美智華ちゃんは、顔を真っ赤にして賢志郎によろめき近づいた。賢志郎は椅子から立ち、両手を差し出して微笑んだ。出た。営業用の極上川西スマイル。美智華ちゃんは小さく「ヤバい」を連呼して、賢志郎の手を離さない。
「…もうええかな?」
「あの!ハグしていいですか!」
瞳孔が開ききった美智華ちゃんが叫んだ。
「駄目に決まってんでしょ!帰って受験勉強しな!」
女将さんが美智華ちゃんを叩き出して、何だか面白い一幕が終わった。

「まりちゃん、寒ない?ここ手ぇ入れな」
帰り道、私の手を握り、パーカーのポケットに入れてくれる。優しい賢志郎が嬉しくて、体をすり寄せる。
「缶コーヒーで暖とろうや」
暖取るって言葉のチョイスがおっさん。自動販売機の前で、ポケットの小銭を探っている。
「ご馳走して」
「うん、待っとって」
缶コーヒーのボタンを押すと、ガタゴト、と音が鳴り、出てきたものを賢志郎がじっと見た。
「ポカリやん」
「え嘘」
「ポカリやな…あれ?」
「賢志郎飲みなー」
「え、嫌やで寒いのに」
「私だって嫌。冷たいもん」
「奢ってやったんやから黙って飲みー」
「やだコーヒーがいい」
「なあ何でコーヒー出てこんの?」
「うーん、1、賢志郎がボタン押し間違った。2、業者がコーヒーとポカリの列を入れ間違った」
「…2やな。そんな酔ってへんもん」
「じゃあさ、今度はポカリの方押してみようよ。そしたらコーヒー出てくるってことでしょ?」
「ええよ」
ポカリのボタンを押す。ガタゴトと音が鳴り、出てきた缶を取り出した。
「こっちもポカリや」
静かな住宅街に、私達のはた迷惑なバカ笑いが響いた夜。

#川西賢志郎
#和牛川西
#和牛川西賢志郎
#江古田
#自販機事件
#宮沢章夫

*45*
「昔は遊び好きな芸人がおってな、夫婦喧嘩の仲裁に入ったことあんねん。嫁はんが怒ってしょっちゅう包丁持ち出して生きるの死ぬの言うてたんや。隣の住人にはな、警察の前にワシに電話してくれ言うて日頃から頼んであったんや。ほいで電話があって駆けつけたら、玄関先が血みどろや。当の芸人は血の海に倒れてんねん。担当の芸人死なしてしもたーって蒼白になったで。死んではなかったけどな、監督不行き届きやって怒られたで。そんなんでまあ色んな芸人おったけどな…川西、社員を外で待たせて嫁はんとちちくりあってたのはお前が初めてやで」
「すんませんでした…」
畑田さん、俺の大好きな人。50代半ばの大御所社員。ガサツに振る舞って、若手に気を使わせないようにしているところ。それでいて絶対に筋を間違えない厳しいところ。娘より若い22才のキャバ嬢に入れあげて、プレゼントの相談を俺に持ちかけてくるところ。俺よりよっぽど芸人らしい。畑田さんが俺達につくことが分かった時は驚いた。マネージャーとして数々の伝説的な仕事ぶりが語り継がれている。今は幹部として番組や舞台の企画、制作の中心となり、現場に出てくることはなくなった。このまま東京で上り詰め、その後は本社の幹部、社長という流れに乗って行くと思われていた。それがまさかまた現場に降りてきて、マネージャーをやるとは。しかも俺たちの。東京で右往左往している今の俺たちが何とかやれているのも、畑田さんのお陰だ。持ってきてくれた仕事で爪痕を残そうとは思うが、どうしてもグイグイ行けない。だから駄目だとは、畑田さんは言わない。お前らなりにハマれ、と言うだけだ。
「やすしさんがコンビ別れの名人言われとってな、きよしさんと組むまで3回コンビ解消してんねん。一方きよしさんは厳しい師匠についとったし、真面目で努力することは厭わない人や。それが時々、水田と川西にうっすら重なるねん。一時は和牛が平成のやすきよなるんちゃうか思ったけどな、もう平成も終わるしな…女の人気多いのは結構なんやけどな。男のファンがおらんとな…」
ーかばんを持たない
ー師匠と呼ばない
ー飯を奢られない
やすきよ以降、社内で言われてきたというマネージャー三ない原則だ。内容的に古すぎることもあって、現在は廃れているが、芸人と社員とはあくまでも対等だということを言わんとしている。要は昔、芸人の方が圧倒的に力のある存在だったということだ。俺たちと畑田さんの場合、圧倒的に力があるのは畑田さんの方だが。俺の知っとることは全てお前らに教えたるからな、と畑田さんは言った。人気だけが矢鱈あって、グイグイ行けない俺たちをどうにかしようという意図で畑田さんが付けられたのは間違いない。
「ほいでも川西、ええ嫁さん見つけたで。あれは逸物や」
「そうですか。ありがとうございます」
「これで伸びんかったらあかんで。芸人は家庭持ってからが勝負や。仕事も家庭も難しいことぎょうさんあるで。ほいでもやっとったら二つの座敷をこなす器量がつくねん。なあ川西、分かるか、お前ならもう一度化けれんで、もう一度 …」
北海道から帰る飛行機の中、畑田さんはひとしきり俺に話しかけると、やがて寝息を立て始めた。ふと空っぽの時間が来た。結婚して初めての泊まり営業だった。すすきのお姉さん達も魅力的だったが、それよりか早く帰ってまりちゃんが抱きたい。玄関先で睦み合った感触が体のあちこちに残っている。結婚を公表した後、ファンが減ったとか出待ちが減ったとか言われているが、それは構わない。ここ2~3年、アイドル的な人気に巻き込まれ、求めていない方へどんどん連れていかれた。自然と人気が下がっていくくらいなら、自分で全て断ち切りたかった。そのタイミングでのまりちゃんとの結婚は、俺としては100点の判断だったと思う。回想に耽る内、俺もやがて眠りの淵に落ちていった。

「ん、やだ…恥ずかし…」
まりちゃんは首筋を真っ赤に染めて、俺にされるがままになっている。
「恥ずかしいこと無いでしょ、まりちゃん…」
札幌営業から戻って、家に着いたのは夜中だった。まりちゃんは珍しく俺の帰りを待っていて、ソファーで丸くなって寝ていた。俺のお気に入りのニーハイを穿いているということは。
「やだ、ニーハイ脱ぐ…」
「あかん、穿いとって」
さんざん濡れてしまったショーツを剥ぎ取る時、綺麗な脚が俺に協力して動いた。両膝を擦り合わせて俺を睨み付けるのがまた可愛い。マニアックな性癖は無いけどその格好はヤバい。すべすべの太腿、柔らかいお尻、トロトロの通路。脚の付け根に愛撫の手が伸びる。指を沈めると、まりちゃんの切羽詰まった声が聞こえた。細い体がしなる。堪らずにロンTをたくしあげると、真っ白い胸がすぐに現れた。
「ノーブラなん」
「うん…」
「もう鼻血出そうや」
「バカ…」
まりちゃんは羞恥に目を伏せる。ノーブラで俺の帰りを待つなんて、はしたないんだね、まりちゃん。ロンTを脱がせば、憧れの、裸にニーハイ。熱く蕩けた部分が、俺を締め付けながら受け入れた。暖かい。もう動けない。幼稚な男の憧れをいつもおおらかに受け止めるまりちゃん。こうして俺も大人になっていくのかな。

#川西賢志郎
#和牛川西
#和牛川西賢志郎
#エロの限界
#仔牛ちゃんが恐いから

*44*
北海道へ飛ぶ飛行機の中、外を見ながら回想に耽っていた。懐かしいあの合コンの夜。まりちゃんを一目見た瞬間に、恋に落ちたようなものだった。
店に一歩足を踏み入れた時、美しい弧を描くアルカイックスマイルが俺を見た。仕事帰りに寄ったみたいな服装。いわゆる合コンスタイルじゃないけど、上品で、清楚で、大人っぽい。柔らかい眼差し。吸い寄せられるように近づいたら、眩しそうに俺を見た。
「ここ、ええかな」
「うん、いいよ」
艶やかに微笑んだ。ため口が可愛い。立ち合いが最強。俺は幹事の後輩に耳打ちした。
「今日は席替えナシにしてな」
「え、そんな合コンないでしょ?!駄目です駄目」
「ええやん、今日は俺の為の合コン言うたやんお前」
「ま言いましたけども、本気出すのは2次会でええやないですか」
「俺2次会行かへんもん。あの子と帰るもん」
「わっがっまっまあ~。川西さん目当てに来た子もいてるんですよ」
「知らん」
「それにあの子は今日一番の目玉っすよ、俺も話したい!」
「あんな上玉のお相手、お前には無理や」
「うう、ひでえ…」
まりちゃんは怪しいひそひそ話には興味も無さそう。俺みたいな俄モテ男と違って、生粋の、生まれついてのモテ人生を歩んできた余裕が、上品な佇まいに表れている。
「川西さんって芸人だったのねえ。サラリーマンかと思った」
一通り自己紹介が済んで、まりちゃんは大きな目で俺をじっと見て言った。この言葉はちょっと衝撃だった。少しはテレビに出て、顔も売れていると思っていたのは自惚れだったのか。思わず聞いた。
「お笑いは、興味ないんかな」
「そんなこと無いよ。家族でね、茶の間でCD聞いたりするの」
「ん、CD?どんなん聞くの」
「うんとね、志ん生とか、広沢虎造とか」
吹き出しそうになった。志ん生とか広沢虎造なんていう王道中の王道を出された日には、漫才なんて完全なる色物。寄席の添え物だ。それにしても、良家のお嬢様やないかい。家族で、茶の間で、古典落語や浪曲のCDを聞く文化のある家庭。俺を知らないのも仕方がないと思えてきた。その日、俺はとにかく饒舌だった。聞き上手なまりちゃん相手に気持ちよく話してると、トークの腕が上がったのかと思う程だった。
「可愛いなあ、まりちゃん、もう家に連れて帰りたいわ…」
テーブルで指が触れあう。脚も触れあう。幹事には悪いがまりちゃん一択、他の子とは殆ど話さずに合コンも終盤を迎えた。まりちゃんは火照った両頬を手で包んで俺を見た。
「うんいいよ、川西さん好き。連れて帰って…」
近年これほど衝撃的な瞬間があっただろうか。高嶺の花が俺にだけは尻軽って、全男性の夢の状況じゃないだろうか。もうこの場で抱きしめたいくらい頭に血が上ってきた。すぐにでもこの子を連れて帰りたい。指を絡ませて、他愛もない話を延々と楽しむ。お酒は何が好きとか、こないだ見た映画とか。そんな時、女子の幹事が声を上げた。
「真理子さーん、真理子さんちょっと」
楽しい回想はそこで途切れた。CAのアナウンスが機内に響く。
「当機は只今から着陸体制に入ります。お席に着いて、シートベルトを…」

「ねーまりちゃん、これとこれ、どっち着てったらええの」
「んん?どっちも不正解ねえ…」
「嘘やんもう時間無いのに」
「黄色いパンツが正解だよ」
「え、どこにあるやろ、時間ないっちゅうの」
「洗濯籠に入ってたよ…ククッ」
「くそっもうこれでええわ。行ってきまーす」
「はぁい行ってらっしゃーい」
今日から札幌一泊、大きなゴロゴロを引っ張って家を出る。玄関先で寂しそうに見送るまりちゃんは、長袖Tにショーパンにニーハイという部屋着のセット。たまらなくどストライクな服。こっちは一刻を争ってるというのに、なんだよもうそのニーハイのエロさは。行きかけて戻ると、まりちゃんが抱きついて唇を重ねてきた。
「んん…」
腰を抱いて引き寄せる。ニーハイの綺麗な脚が俺に絡みつく。まりちゃんが自分から何度も唇を重ねてくる。そのうち可愛い声を上げてギュッとしがみついてきた。胸が、腰が密着してもう耐えられない。
「まりちゃん、ヤりたい…」
「うん、ヤっちゃお…」
「もう下でマネージャーが待ってんねん」
「ん、もう、それでさ、すすきので遊んでくるんでしょ…」
「まりちゃんとヤれるなら真面目に帰ってくる」
「うん、じゃあ、帰ってきたら…いっぱいして…」
「するする」
「ん…」
大甘の睦言を交わしながら、まりちゃんの暖かい舌を味わう。リミッターが外れそう。突然、ガンガンガンと大きな音がしてドアが開いた。
「おいこら川西何やっとんねん水田一人で行かす気か…」
マネージャーが俺たちを見て、事態を理解するのに1秒かかった。俺の右手はまりちゃんのロンTの中に入り、まりちゃんの長い脚は俺の腰に絡み付いている。
「やっ、失礼」
バタンとドアが閉まり、足音と共にマネージャーの声が遠ざかって行った。
「置いてくからな!本気やで!アホ川西が!」
仕方なくまりちゃんから体を剥がして、マネージャーの後を追った。頬を赤らめた可愛いまりちゃんは、手をヒラヒラさせて俺を見送った。

#川西賢志郎
#和牛川西
#和牛川西賢志郎
#出会いは合コン
#復刻版
#何故か削除の憂き目に
#ヤりそうでヤらない二人

*43*
真夜中に帰って来ると、居間はシーンと静まり返っていた。まりちゃんがもしかして起きてるかも、と思ったがいない。
まりちゃんは若奥様のくせに、起きて旦那を待っているとかしない。すぐ寝ちゃう。次の日が早い時は、10時くらいに寝ちゃう。全く自由にやってる。居間のテーブルには、おかえりのメモが置いてあるだけだ。今日のメモには、酒を飲んでるパンダのイタズラ書きが添えてある。こないだは、クマとヒヨコがビアガーデンで花火を見ているという大作が描かれていた。多分「おかえり」だけじゃ無愛想だから、サービスのつもりなんだろう。下手そうで下手とも言い切れない絵が、疲れた頭に丁度いい。真夜中、パンダやリラックマのイタズラ書きを眺めながら一杯やってると、女の子と暮らしているんだなあと、じわじわ来る。見るともなくニュースを見て、ビールとサラミで短い晩酌をする。落ち着いた日々だ。結婚は墓場だなんてよく聞くが、随分気取った言いぐさだと思う。勿論いいことばかりではないが、独り身では絶対に味わえない喜びもある。そうこんな夜、奥さんのイタズラ書きを肴に一杯飲むことや、一杯飲んだあと、奥さんの暖かい布団に潜り込むことも。
「まりちゃん…」
ベッドの中、まりちゃんの体はポカポカに暖まり切っている。背後から腕を回すと、僅かに身じろぎした。こんな幸せは、ここ以外にはどこにもない。うすら寒い夜に、愛する人の体が暖かいなんて。
「んん、けんしろう、おかえり…」
半分眠りながらも、俺の手をギュッと握ってくれる優しいまりちゃん。Tシャツとショーツ1枚だけのまりちゃん。駄目だろこんな格好。
「ん、いや、冷たい…駄目…」
嘘みたいにすべすべした太腿。その合わさった所を撫でていると、まりちゃんがエッチな声を上げた。ヤりたいな。しかし一緒に暮らしているからと言って、そんなにいつでもヤれる訳でもないのが結婚生活の難しい所だ。寝込みを襲ったらこないだは怒られた。突然は駄目。手順というか、雰囲気作りというか。確かにそういうのがあって生まれるのが、小澤さんの言う「いいセックス」なんだろう。だから、小澤さんのくれた課題は、生涯かかって取り組むほど難しいとも言える。
「川西くん
これからも
いい女と
いいセックスで
充実の人生を」
かつて、手順も雰囲気も抜きで、即物的にヤれる相手に事欠かなかった。いや多分今も、求めればすぐにでもそうなるだろう。男にとってとことん都合のいい、すぐヤれるシステムを引っ提げて現れるのが、ファンであったり、まあ金を払えば風俗も。それを眼前にぶら下げられて手を出さない男がいるだろうか。色んな女の子を相手にしてきたが、あの子たちは逞しい。ファンを食うとか言って、実際食い物にされているのは俺たちの方だ。未来永劫、消えることの無いネットに、俺も不名誉な刻印を押された。ただし、そういう便利で頽廃的な生活をやめるには、実に長い時間が必要だった。本当に、まりちゃんが現れるまでは。
「もうダメ、ほんと冷たいもん…」
まりちゃんは、俺の手がいたずらしないようにギュッと握りしめている。目もすっかり冴えた。
「ねえ、冷蔵庫のビール飲んだ?」
「うん、あれ美味しいな」
「でしょ。銀座行ったら北海道物産展やっててね」
「うん」
「札幌出身のゼミ生が美味しいって言ってたクラシックがあったの」
「うんうん」
「美味しくて5本飲んじゃった」
「嘘やん、俺にはあの1本だけか」
「あはは、ごめん…」
まりちゃんのおっとりしたおしゃべりを聞いている内に、今度は俺が眠たくなってきた。愛撫の手も封じられ、性欲はどこかへ遠ざかって行った。まりちゃんの暖かい背中に顔を埋め、やがて前後不覚の深みに落ちていった。

「コンビ仲のええのは大成せんのやで。こらあエンタツ・アチャコの時代からの不文律や」
それはよく知っている。エンタツ・アチャコと言われても困るが、コンビ仲について、単純に良い悪いと断じるのは意味がないと俺は思っている。そういうのを超越したところに俺たちの仕事がある。
「仲が良いとか悪いとかいう関係やないと思うんですよ。同僚ですから。仕事上必要とあれば仲良さも示しますし」
「まそうやなあ、最近は仲のええコンビの方が人気出るからな。面白いより仲ええ、やな」
カチンと来るなこの人。俺たちを面白くないと言いたいんだろう。水田がいなくて良かった。
「僕らまだまだですから。仲ええで人気取って行きながら、頑張って力つけていきますわ。ほんじゃ」
アンガーマネジメントや。大人になりつつあるな。俺も。

#川西賢志郎
#和牛川西
#和牛川西賢志郎
#サッポロクラシック
#マジで旨いよ
#北海道物産展

*42*
バンギャのゆきちゃんが、トイレの鏡の前でピアスをずらりと並べている。9月いっぱい夏休みなので、構内は静まり返っている。リクルートスーツにそんなたくさんのピアスつけて、ゆきちゃんはどこ行くつもりだろう。
「おはようございます木崎さん、いや川西さん」
「ん?おはよ…ゆきちゃんは就活?」
「はい、バンギャが漏れるのかいまだに内定が取れません。今日も面接です。あ、指輪…」
「あ」
「左手薬指に指輪ってことは、国に男女関係を届け出たんですね?」
「え?バンギャ警察?」
「あと、ネットニュースの動画見ましたけどね、ガッツリまりちゃんて言っちゃってるじゃないですか」
「そーなのよあれねー…左側の人がポロッとね…」
「ちょっとスベってたのがまたいいですね」
「そう、それが一番の問題」
「でもめっちゃ可愛かったですよ二人とも。ウケより可愛さが和牛じゃないですか?和牛のファンとジャニヲタの兼業って最近多いんですよ。ってことは和牛がジャニーズ並みに可愛いってことですよ。まあバンギャのお口には和牛は合わないですけどね。ちなみにですけどバンギャとジャニヲタは昔っから犬猿の仲ですけどね。っていうかさっきから結婚認めてますよね?逮捕しますよ」
「いや、めっちゃ喋るね…あ、そうだ。ピアスありがとうね。お陰でキレイに定着したよ」
「マジすか。ずっと会えなかったんで心配してましたよ。やっぱ穴開けはニードルですから」
「ゆきちゃんがニードル手にして構えた時は、殺されるかと思ったよ…」
教師時代は、ピアスも茶髪も自粛していた。教師の為の校則じゃないから、自粛する理由は無い。が、必ず面倒なことを言い出す生徒がいて、「先生だってやってるじゃん。なんでうちらだけ」と来る。それが面倒。特に若かった私はその標的になりがちだった。だからずっと黒髪。ずっとピアスなし。教師を廃業した後に知り合ったバンギャのゆきちゃんは、両耳合わせて18個のピアスをしていた。ピアスの顧問として、ある日の夕方、空き教室で、両耳に穴を開けてもらった。
「木崎さん、入れますよ…」
「ちょっとー、エロいよう…」
「ちょ、指先が…狂う…」
「ごめんごめん…真面目に、はい、お願いします」
「では…ニードル当てますよ」
ゆきちゃんが指先で器用に耳を固定した。ニードルの先が耳たぶに浅く刺さった。
「…あん…」
「木崎さん…声…」
「ごめんごめんお願い続けて…」
ゆきちゃんは肩を震わせて笑っていた。賢志郎にしか聞かせない声を聞かれた。その日はゆきちゃんと二人、とことん女子っぽい時間を過ごした。ピアスの穴開けの子細は賢志郎には言わない。何かしらをゆきちゃんに捧げたみたいな、特別に親密なあの時のことは、賢志郎には喋りたくない。
「ねえゆきちゃん、そのピアス着けて面接行くの?」
「はい、今日は勝算あるんで」
「おお、頑張ってね。ちなみに業種は…」
「出版です。ではっ」

「付き合いだした頃さ、私のカレーは世界一美味しいって言ってたなあ」
「言ったかなあそんなこと…」
洗面所で、賢志郎の髪をセットする。ドライヤーで髪をフワッとさせて、ワックスでキープする。そんなことすら自分じゃしない人。更に仕上げでアイロンを使えば、テレビで見る川西賢志郎の出来上がり。でも自分じゃ絶対しない人。放っておいたら信じられないくらいダサい出で立ちでどこにでも出かける。そこがいいんだけど。私にされるがままの賢志郎は、ジーンズのポケットに両手を突っ込んでボーッとしている。
「可愛かったな、あん時の言い方…」
「ふふ、私も賢志郎の気を引こうと必死になってたのかな…」
「そうなん、いっつも余裕に見えたけどな」
「あのね、ワックスは両手に思いっきり伸ばして、髪全体にこうやって…」
「いてて」
「あ、ごめん」
「おいこら、毛ぇ抜けるやんけ…」
「ごめんて…あ、ほら、カッコいい…」
ほんと、ちゃんとセットすればいい男。今更ながら、キレイな顔。ファンは、賢志郎のこの顔から好きになるんだろうか。「私が入社して以来、こんなに人気が伸びた芸人はいませんね」とマネージャーさんに言わしめる賢志郎。結婚してから頻繁に顔を合わすようになった敏腕マネージャーは、賢志郎に関する基礎知識を色々教えてくれた。
「数年前までは、和牛と言えば人気ない、垢抜けないって自他共に認める感じでしたね。私も東京におりましたんで傍では見ていないんですが、突然垢抜けたというか、川西くんのツッコミが化けたというか、まさかこんな風に人気が出るとは思ってもみませんでした」
そして最後にこう言って去って行った。
「結婚は、川西くんにとって吉と出ると確信していますよ。じゃ、今後とも宜しくお願いいたします」
賢志郎は、狭い洗面所で唇を重ねてきた。私の唇を食べるように、甘いキス。賢志郎の背中に腕を回す。痩せて見えるけど、胸板は厚い。
「いっつもありがとう、まりちゃん」
「いいえ、私の方が果報者ですよ…」
仕事へ行くというのにキスをやめない賢志郎。唇が次第に下へと移動する。だんだん、キスだけじゃ済まない空気になってくる。賢志郎がチラッと壁の時計を見た。今じゃなくても、今夜があるからさ、行ってらっしゃい。賢志郎。

#川西賢志郎
#和牛川西
#和牛川西賢志郎

*41*
「以前よりお付き合いしていた方と、本日入籍いたしました。今後とも精進致しますので、変わらぬ応援を宜しくお願い申し上げます。川西賢志郎」

「あー、遂にやっちゃったねえ」
「ツイッターで結婚報告か。まあそんなもんやろな」
「この後ヤフーニュースやな」
「ナタリーさんとな」
「嫁さんの似顔絵描いて出すプチ会見とな」
「ファンが分散するな」
「分散してもお前のファンは増えん」
「いや分からんで。やけくそになったファンが回って来るかもしれん」
「やけくそになったファンで丁度ええわ」
「しかし川西も人気絶頂の時になんで結婚するんやろ。もっと遊びたないんやろか」
「いや、なんだかんだ川西もこの状態で3~4年やで。もうお腹いっぱいやろ。裏では遊んどったで」
「そうやな、ほんとえげつなくモテてたよなあ川西は…」
「ああいう草食系がええねん。今の女子には」
「ガツガツしないやつな。俺には無理」
「身辺整理して結婚して、川西ブームを終わらして、あとは漫才に邁進か…真面目やな」
「そこがまたあいつの弱点よ」

「賢志郎、何か送られてきたよー」
まりちゃんが居間で何かガタガタしている。連日の結婚祝い飲みで、とうとう体内のアルコール分解酵素が底をついた。今日は重度の二日酔い。ベッドの上から動けない。
「なーにー…」
エプロン姿のまりちゃんが傍までやって来て、ベッドに腰かけた。髪も後ろでくくって、絵に描いたような若奥様感が出てる。
「これお酒じゃない?えーとね、小澤渓さん…」
「…小澤さん?誰や…」
「あの、エロい編集長の小澤さんじゃないの?」
「あー…」
高級中華料理屋で、エロ料理トークを延々と聞かされたあの夜の、グルメ雑誌編集長小澤さん。

川西くん
結婚おめでとう
これからも
いい女と
いいセックスで
充実の人生を

メッセージカードを見たまりちゃんは、体を折り曲げて、声にならないほど笑った。
「ああおっかし…悪いオヤジねえ…」
「出版界の高田純次やて」
「なるほどねぇ…ねえ、賢志郎」
「ん?」
まりちゃんが覆い被さってきた。柔らかい体が密着する。しかしその幸福感を上回る頭痛と吐き気。もう酒やめる。
「この人に色々喋ったんじゃない?」
「いやあ…まさか」
「へえ…いいセックスってどういうのなの?」
「一般論よ。おしなべて一般論…」
「何ようその顔、にくたらしい…」
「あ、やめてまりちゃん…」
実際は、まりちゃんについて洗いざらい語った。小澤さんとは一度っきりの飲みだと思ったからだ。次々と良い酒を出してきてはまりちゃんのことをのろけさせ、その勢いで俺にしか知り得ないまりちゃんの諸々の性癖、痴態、手順、言葉などを喋らされた。最後は、早々に閉店の札を出したシェフも参入して、両脇からステレオ状態で骨までしゃぶられた。シェフは小澤さんにナイスアシストの連発で、所詮グルかよ、という結末。まりちゃんのエロさが50代の男二人を魅了し、悔しがらせた一夜だった。後日、送られてきた小澤編集長の最新号には、俺の発した言葉の数々がちりばめられていた。芸人が血の滲むような努力をして日々紡いだ単語と発想を、易々と絡め取っていった50代の、働き盛りの、ちょい悪オヤジの。まあ、高級中華と酒代で、日当ぐらいにはなったか。仕事っていうのはこうやるもんだぜって、得意気な小澤さんの声が誌面から聞こえた。
『越乃寒梅、久保田を生んだ新潟に、久々のスターが現れました。その名も“荷札酒”。日本酒の魅力に取りつかれた24歳の杜氏が、大学を休学して酒作りに取り組んでいます。詳細は小誌最新号をご覧下さい。』
日本酒に添えられた紙切れにはこう書かれていた。
「ねー飲もーよ。美味しそうだよ賢志郎…」
「何言ってんのまりちゃん、朝やで?俺もう酒はやめたし…」
「やめれるわけないでしょ。嘘ばっかり…」
フワッといい香りに包まれて、まりちゃんが唇を重ねてきた。濡れた口紅の感触。掴まえようと手を伸ばしたら、フワッといなくなった。遠ざかりながら、声がする。
「学校行ってくるね。ご飯よそって食べてね…」
俺のまりちゃんは、もういなくならない。この夏に、鴻巣の家を引き払って、うちに越してきた。奥さんというより、ウチの子という感じ。可愛い女の子が、うちの中をうろちょろと動き回って料理したり掃除したり、怒ったり笑ったり。出来事全てが童話みたいで現実感がない。恋愛がまだ続いていて、生活にしっくり馴染んで来ないせいだ。でもとにかく俺にはまりちゃんがいる。これまで数々のトラブルに見舞われた俺達の関係も、まりちゃんが動じなかったおかげで乗り越えられた。どうにかなるよ、賢志郎。どうにかなんなくても私がいるよ、大丈夫。頼もしいまりちゃんの笑顔。ここが俺の場所。思春期に自分の居場所を失った。彼女とも別れ、大学もやめ、芸人になり、漂泊を続けていた。それももう終わりだ。

#川西賢志郎
#和牛川西
#和牛川西賢志郎
#遂に入籍
#ツイッターで報告
#かまいたちを踏襲
#dancyu
#編集長
#植野広生
#日本酒
#荷札酒
#新潟の酒

*40*
ピアスを取る時、少しだけ首を傾げる。それだけのことでドキッとする。薄いガラス板が耳元で揺れる。取らないで欲しい。
「取るの?ピアス…」
頬にキスしながら言うと、まりちゃんの指先が止まった。ベッドの上。キャミソール姿でしどけなく、女の子座りをしているのがめちゃくちゃに萌える。これからすることは決まっているから、それを待つ時間すらいとおしい。
「うん、取る。割れちゃうもん…」
「乱暴にせえへんよ」
「だって賢志郎がくれたのに…」
「つけたままでええよ」
口づけの合間に、甘すぎる不毛な問答を繰り返す。まだ化粧を落としていないまりちゃんの唇は、ピンク色のツヤを湛えている。
「うん…どうしよ…」
「つけてしよ…」
「うん…」
目を伏せて頷くまりちゃん。頬が上気している。付き合ってから、何度抱き合ったか知れないのに、いまだにこんなことで顔を赤らめる。清純のカード、淫乱のカード、どちらを切ってくるか始めてみるまで分からない。天性なのか、演技なのか、それも分からないが。まりちゃんは、なし崩しに流されるのもまた良しというか、鷹揚。日常の些末なことは、大概おっとりと受け入れてくれる。どうでもいいことでは我を通さない。賢いんだな。ただ、ピアスの一件で喧嘩になったように、譲らないと決めたらきっちり怒りを表明する。まりちゃんが怒った時の迫力たるや。そんな時は俺が折れるしかない。これは恐らく、上手いこと操縦されてるということなのだろう。幸せの分類の一つなのだろう。
ピアスというものは、最初1ヶ月もつけっぱなしにして、穴を落ち着かせるんだという。その期間を過ぎてようやく他のピアスをつけることが出来るわけだ。ピアスでひと悶着したせいで、それ以来どこへ行ってもピアスが目につくようになった。旅先の土産物屋にも、驚くほどたくさんのピアスが並んでいることを知った。贈る相手のいる男だけが、ここに気づくのだろう。ピアス売り場にいることの優越感。そして営業先でついに見つけた、タイル一個分ほどの大きさの、薄いガラス箔のピアス。これをまりちゃんが着けたら、さぞかし似合うだろう。無性にプレゼントしたい衝動に駆られていた。
「財布の紐の固いお前が珍しいやん」
一番見られたくない瞬間に、一番見られたくない奴に声をかけられてしまった。泡食って包みをバッグにしまったが、遅かった。
「お母さんにか」
「わざと言うてんねやろ」
「分かったお姉ちゃんにやな?」
「あっち行っとれや」
「それにしてもセンスええなあそのピアス。まりちゃん喜ぶで」
「あ、ほんまに?お前が言うなら大丈夫やな」
「いや、心配でずーっと見とったんやで。どんなだっさいもん買うんやろ思て」
「…まあなあ。その心配はごもっともや」
「まりちゃんには、これ琉球ガラスってちゃんと言うて渡すんやで」
「琉球ガラス?…分かった」
ある日突然ピアス穴を開けたまりちゃん。不良になった。俺の知っているまりちゃんじゃなくなった。あの時本気でそう思った。我ながらアホだが、本当に俺の恋愛脳は高校生レベルから進歩していないんだからしょうがない。中身は幼稚な独占欲だ。誰にも見せずに隠しておきたいのに、ピアスなんかしたら目立ってしまう。しかしこんな低脳な言い分が、大人で恋愛上手なまりちゃんに通用する筈がない。案の定喧嘩、のち撃沈。当然だ。
薄いガラス箔のピアス。無粋な俺が、まりちゃんにあげた殆ど初めてのプレゼント。それをまりちゃんが耳に着けた瞬間、俺は、世の男達が何故恋人に貴金属を贈るかの理由を悟った。贈ったアクセサリーを着けた女は、自分の物に見えてくる。所有欲の充足だ。ガラス箔のピアスをまりちゃんに着けさせた俺の喜びは大きかった。俺の物のような顔をしてても、全然俺の物じゃないまりちゃん。従順にしてるけど、心は掴み所のないまりちゃん。もどかしいまりちゃんへの思いがいつもある。
「ん、ん…」
丹念なキスの合間に、まりちゃんが小さな声を洩らした。それが聞きたくて、また繰り返しキスをする。俺を迎えるように少しだけ開いた唇。そこに舌を差し入れて、まりちゃんの暖かい舌を探す。細い肩紐を落とすと、柔らかい胸元が露になった。美しい紡垂形の膨らみ。キスを続けながら、張りのある膨らみを手のひらで弄ぶ。まりちゃんは目を閉じて、両腿を気持ち良さそうに擦り合わす。
「や…あ、やだ…」
ベッドに寝かされ、快感に身を委ねるまりちゃんが、俺の名前を小さく呼んだ。何?と聞いても答えは返ってこない。この時、まりちゃんの体に没頭するひととき、何もかも忘れられる。結果を求められるプレッシャー、時間の無い焦燥感、人気が失速する恐怖感、全てを捨ててもいいから自分の人生の幸せを求めたい気持ち。色んな想念がまりちゃんを抱くひとときは、掻き消える。まりちゃんの柔らかく蕩けた奥に入りきったあと、一瞬の休止。まりちゃんは息を止めている。目の前にはガラスのピアス。俺のピアスだけを身につけて、俺を受け入れているまりちゃん。この絵面は、男の下らない夢の一つじゃないだろうか。思わず耳たぶに口づける。
「あっ…」
俺の耳許で、途切れ途切れの可愛い声を上げる。白い肌に、華奢な顎のラインに、透明なピアスが揺れている。

#賢志郎に嫁を
#激甘な展開
#ガラスのピアス
#ハリオのピアス
#箔

*39*
頬に触れる肌掛けが気持ちいい。これは高級なやつだから。布団にぬくぬくとくるまって、始発電車の音を聞く。今日は学校に行かなくていいんだ。院生は基本、土曜日も登校するものだが、今日は玉塚先生が学会出張なので行く義理はない。傍らで賢志郎は、寒そうに丸まって寝ている。昨夜、喧嘩して怒った私はベッドを占領して寝た。それで布団に入れなかったのか、それとも単に寝相が悪いのか、賢志郎は布団から完全に飛び出している。Tシャツとパンツで。
「…寒い…」
やっぱり寒いんだ。呟きを聞いて思わず吹き出した。じゃあ布団を引き寄せるとかしたらどうかと思うが、賢志郎はただただ自分の表面積を小さくすることで寒さをしのごうとしていた。人の布団を引っ張ったりしない。それが賢志郎なんだけど。
「賢志郎、お布団入って…」
肌掛けと羽毛布団をパサリと掛けてあげた。賢志郎は一瞬薄目を開け、私の胸元に頬をすり寄せた。
「ありがとう、まりちゃん…」
嬉しそうに私になついて。ぼっさぼさの頭をして。可愛いひと。9月に入り、明け方は秋の気配がする。でもパジャマは着ない。下着だけを身につけて、布団と賢志郎の暖かさだけで寝るのが至福だ。
肌掛けは、賢志郎のお母さんが同居の準備品として贈ってくれた。布団の一流メーカー京都西川製。いくら新婚とは言え布団は二組必要でしょ、と電話の向こうでお母さんは言った。はい、と流したが、あそこは笑うとこだったのかしら。賢志郎の実家へ挨拶に行った時は、下にも置かないもてなしを受けた。特にお母さんの喜び様は一通りでなかった。目頭を時折押さえながらお母さんが語って言うにはこうだ。
「そもそもやで。せっかく入った大学もすぐやめて、芸人になる言うて、そこから10年も鳴かず飛ばずで、相方さんも何度も変えて。お父さんもお母さんもお姉ちゃんもなんぼ心配したことか。最近でこそちょこちょこテレビに出てるけれどもや、人気なんてあてにならないもんやで。それがこんな綺麗で、育ちがよくて、教養のあるお嬢さんが、賢志郎と世帯持ってもええなんてなあ、ありがとうな、ほんま勇気あるわ真理子さん…」
賢志郎がうなだれればうなだれるほど、お母さんの話しぶりはヒートアップしていった。思えば今回の結婚の挨拶回りで、私の実家では「真理子を悲しませたら殺す」と凄まれ、自分の実家では、今日までの親不孝の総括をされ、賢志郎かわいそう。まあ結局笑っちゃうんだけど。

昨日の夜のこと。買ってきたプレモル6缶パックをテーブルに置くと、待ちかねたように後ろから抱き締めてきた。背中に賢志郎の体温が伝わる。
「まりちゃん、今日の服可愛い…女の子らしくて」
言いながら、首筋に唇を当ててくる。待って。気持ちいい。
「うん、最近ずっとTシャツとジーパンだったから…」
次々に触れられる快感のせいで、脳細胞の動きが鈍る。噛み合わない返事をしている。
「Tシャツ姿も可愛いけどな、やっぱりこういう…清楚な…」
首筋にキスしながら、賢志郎が切れ切れに喋る。唇が触れたり離れたり、たまらない気持ちになる。賢志郎の綺麗な指が、ブラウスのボタンを器用に外していく。2つ外すと、はだけた胸元にもう手が入ってきた。ああ、今日は段取り無しでいきなりなんだ。ビールを冷蔵庫に入れていないことが気になるけど、性急な賢志郎を味わえるのも嬉しい。
「あっ」
暖かい手が服の中に入ってきて、膨らみを荒っぽく揉みしだいた。耳たぶに歯が立てられる。声がもう我慢できない。
「あっ、んん…」
「まりちゃん…声我慢しないで…」
「いや…違うもん…」
「違わないでしょ、まりちゃん…?あれ?」
「ん…何」
「ピアスしたん?」
賢志郎が私のピアスをまじまじと見ている。甘い空気が掻き消えた。
「なあ、いつしたんこれ?」
眉間にシワを寄せた賢志郎を見て、全て飲み込めた。古い男なのだ。いや知ってたけど。でもよりによってピアスが地雷だったとは。物欲の薄い私のささやかな望み、教師をやめたらピアスをつけたかった。ここを譲ったら、この旧弊な男との結婚生活に影響が出てくるような気がした。いや、絶対出てくる。
「え?ピアスしちゃ駄目なの?」
「だって体に穴あけることやん、ピアスって。なんでそんな事すんねん。なんで俺に言わんでやったん」
「え?ピアスって賢志郎の許可制だったの?ピアスを開けさせて頂きますって?宜しいでしょうかって?そうなの?」
語気も荒く、渾身の怒りをこめて賢志郎を見た。たじろいだ賢志郎を尻目に、私はベッドを占領して早々と就寝したのだった。

「きゃっ…」
腕を引き寄せられて、賢志郎の胸にすっぽりと収められる。明け方、布団から抜け出そうとした時。賢志郎が捨て犬みたいな表情でじっと見ていた。
「昨日はごめんな…まりちゃん」
「うん…反省したの?」
「した…ずっとしてた…言ってすぐ反省した」
「馬鹿ね…」
「まりちゃん…」
「うん?」
賢志郎の指先が、私の耳たぶに触れた。
「ピアスしたんや、可愛いやん…」
「うふふ、ありがと…」
折れてくれてありがとう。賢志郎が、喧嘩の前まで時間を戻してくれたから、また甘い所からやり直し。

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